[episode24]時計職人と失われた針音
- mam
- 8月26日
- 読了時間: 2分
古びた木の扉を開けると、そこは小さな時計屋だった。壁一面に、時を刻むはずの時計たちが静かに並んでいる。奥の工房では、白髪の老人が机に向かい、手元の懐中時計をじっと覗き込んでいた。
「……もう、動かなくなって久しいな」
彼の手にあるのは、若い頃に弟子であり恋人だった青年から贈られた時計だった。その青年が病に倒れてからは、二度と針を進めることはなかった時計。亡き後、形見として大切にしていた時計。
アオとモモは、その背中を少し離れて見つめていた。アオは棚に並ぶ時計に目を奪われ、アンティークの文字盤をひとつひとつ確かめるように見入っている。アオが「物」に興味を示すのは珍しい。モモは退屈そうに口を尖らせながらも、視線は机の上の懐中時計にちらちらと向いていた。
老人は震える手でネジを回し、小さな部品をはめ込む。その瞬間――
「チッ、チッ、チッ……」
止まっていた針が、かすかに動き始めた。
老人の目が見開かれ、次の瞬間、彼の前にひとりの青年が立っていた。かつての弟子…恋人として彼に寄り添っていた青年。蜜月を重ねていたあの頃の、若き日のままの姿。
青年は、彼にやわらかな笑みを浮かべている。
「……待たせて、ごめん」
彼は静かに時計に触れ、目を閉じた。
その瞬間、耳に届いたのは懐かしい声――かつての弟子であり、恋人だった彼の声だった。
「おかえり…!」
夢主の表情に安堵の笑みが浮かぶ。長い時を越え、ようやく帰る場所へ辿り着いたのだと。
短い言葉だけで十分だった。老人の表情は、安堵に満ちていた。
青年の手が肩に触れ、その温もりに包まれるようにして、老人は目を閉じた。時計の針は、やがて「ぴたり」と止まった。
静かな工房の中に、余韻のような温かさだけが残った。
アオはしばらく時計を見つめ、「……きれいな時計だね」と小さく呟いた。その横でモモは、店に並んでいる懐中時計のひとつをひょいと摘み上げると、ポケットに滑り込ませた。
夢から戻った月の家。アオが机の上に見慣れぬ懐中時計を見つけると、目を丸くした。
「……モモ?」
モモはそっぽを向きながら、口の端を上げて言った。
「いいじゃん、誰のものでもないし夢の中のものなんだから。あのまま消えてなくなるよりはマシだろ」
アオは呆れたようにため息をつきつつ、その時計を手に取った。しばらく眺めたあと、布を取り出して、丁寧に磨き始める。蓋をあけると、秒針が止まっていることに気づき、
「…修理しないと」
アオがどこか楽しそうに呟いた。
モモは満足そうに、ふ、と短く笑った。
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