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[episode36]幸せな記憶のために

  • 執筆者の写真: mam
    mam
  • 2025年12月22日
  • 読了時間: 4分

屋外に出るたびに、空気が薄く張ったガラスのように澄んできた。

晩秋から初冬へ変わる、その境を湊は確かに感じ取っていた。


けれど今、湊が見ているのは現実の景色ではない。


彼は駅のホームで立ち尽くしていた。

電車の到着を告げる電子音は鳴らない。人もいない。

すっかり枯れたススキがホームの端から線路へ垂れるように揺れている。

吹き抜ける風は冷たいが、耳に当たるだけで刺さりもしない。

ここは音が抜け落ちた世界だった。


職場の同僚・玲央の告白は、まるで突風のようだった。


──「湊さんが好きです。俺と付き合ってください」


怜央は笑っていながらも、目だけは真剣だった。

電車の広告が貼られたオフィスの廊下で、その声はやけに真っ直ぐ届いた。

湊はしばらく返事ができなかった。

忘れようと決めたいつかの記憶が、胸の奥でぎしり、と音を立てたからだ。


学生時代、湊には愛した相手がいた。

けれどその人は、病で亡くなってしまったのだ。

日に日に弱り、やがて消えていった恋人の体温を、湊は今も昨日のことのように思い出せる。

大切な相手を失う怖さは今も心の中心に残ったまま。

それからの自分は、いつもどこか凍えていた。周囲には穏やかに笑った姿を見せていても、恋愛という扉には触れずに過ごしてきた。


「好き」なんて言葉を、もう誰かに向けられることはないと思っていた。


風が巻き上がり、その瞬間、線路の向こうの暗闇からふたつの影が現れた。


兎耳の少年と、小柄なバクの青年。


「なんだ。お前か?呼んだの」バクが気軽に問いかける。

「僕たちは夢の案内人。アオと……モモ。…君は生者だね。最近、最期じゃない夢主さんも増えたね…」兎耳の少年が静かに続けた。ふたりはこちらを凝視してから互いに視線を合わせて不思議そうな顔をした。

湊は目を瞬かせた。驚きすぎて取り乱すことすら忘れている。


「で?絶望か、不安か……お前はどっちだ?」モモが横目で笑う。

悪戯のような言い方なのに、妙に核心を突いていた。

湊は苦く息を吐く。


「……不安、かな。絶望は、もう味わったから」


モモは「へぇ」と口角を上げた。

アオは線路の向こうへ視線を向けたまま、風の行方を追っている。


「職場の…同僚に、好きだって言われた。……俺は、応えていいのかな。誰かを好きになっても……また失うだけじゃないのかなって」


アオの垂れ下がった耳が、少しだけ風になびいた。


「ヒトの命は永遠じゃない。みんな終わりを抱えてる。君もその相手もさ。でも」


一呼吸おいて声はほんのり柔らかくなる。


「君が誰かと過ごす時間は、短いか長いかじゃなくて。“どう満ちるか”なんだと思うよ。君が…または彼が最期を迎えるときにはさ、最高に満ち足りた記憶として残るといいよね」


モモはふっと笑った。

からかうのではなく、どこか満足気に。


「未来の怖さってのは…『失うこと』じゃなくて『何も残せずに失うこと』なんじゃねえの?」


湊は言葉を握りしめるように俯く。


「……そう、なのかも」


「だったら選ぶのは簡単じゃん?」モモが背を伸ばして言った。

「出会いを断つより、残せる時間を選ぶ方が正しいと俺は思うぜ」


アオも、こくりと頷く。


「不安を抱えたままでもいいよ。でも手を伸ばした君自身を、ちゃんと覚えておいてね。それが君の“証明”だから」


風の音はしない。

でも、確かにそこに季節は流れていた。


「ありがとう」と湊は言った。

涙も震えもないのに、その一言にはやけに温度があった。


ふたりは軽く手を振って、暗闇の向こうへ歩いていく。

まるで今も、そしてこれからも変わらず隣にいるという距離感を保ったまま。


***


夢から覚めた朝。

現実の風はしっかり音を立てて鳴っていた。

不思議な夢の記憶をぼんやりと思い出そうとしていると、スマホが震えた。

玲央からのメッセージが届いている。


──「おはようございます。今日の帰り、駅の前のカフェ寄りません?無理なら全然!」


いつも通りの柔らかい誘い文なのに、昨日よりその先が広く感じられる。


湊は、返事を打つ。


──「うん。わかった。あのカフェで待ち合わせしよう」


送信ボタンを押した瞬間、心臓の奥の凍結がほんの少し解けた気がした。

彼が選んだのは恋愛そのものではなく、「失っても残せる時間」を信じる気持ちだった。



湊と玲央イメージラフ。どっちがどっちかはご想像にお任せします。
湊と玲央イメージラフ。どっちがどっちかはご想像にお任せします。




<あとがき>


今回から、補足や解説をちょっとつけることにしてみました。このお話は、【制作風景】チャッピーと構想中を元にしてつくりました。チャッピーが設定を手伝ってくれています。湊(みなと)は過去の死別で絶望したまま大人になったリーマンくん。同僚に告白されたものの、失うことに怯えています。その不安の中で「夢」を見た。アオとモモに背中を押されます。今までの「最期を迎える夢主」だけじゃなく、深い迷いや不安を感じて立ち止まる人のもとにも呼ばれるようになったアオたち。物語に広がりが出てくるかもしれませんね。

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