[episode20]甘眠の密猟者 ― The Sweet Sleep Poacher ―
- mam
- 8月16日
- 読了時間: 3分
深夜の街は、酔いと孤独が入り混じる。ネオンの残光がアスファルトを濡らし、遠くでタクシーのクラクションが響く。
アオが寝静まった後、こっそりと抜け出して地上に降りてきたモモは、人間の姿になり、黒いコートの襟を立てながら雑踏の影を抜けていた。
本来、彼は悪夢を食らうバクだ。だが秘密があった。
――甘美なのは悪夢ではなく、幸福の夢の方だと知ってしまったのだ。喜びや恋心、陶酔の余韻をまとった夢は、蜂蜜のように舌にからみつく。
それを幾度も口の中で反芻しては欲を掻き立てられるほど幸福に満ちた美味。一度味わってしまうと、抗えなくなる。バクにとっては、麻薬のようなものだった。
ふと、路地裏で煙草をふかす女性に目が留まる。やつれた頬に、眠れぬ夜を重ねた痕跡があった。
「はぁい お兄さん、遊ばない?」
甘えた声。モモはゆるりと笑い、近づいた。
悪夢に追われる魂ほど、甘い夢を欲している。
「……いいや、俺が遊んでやる。極上の夢を見せてやるよ」
彼は囁き、まるでホストのように振る舞った。耳元で「あんたは綺麗だな。夢中になりそうだ」と囁けば、女性の頬は赤く染まる。女の部屋にあがれば、女神かのように褒め口説き胸の奥の快楽に漬け込んでいく。優しく肌を重ねると甘い酒と錯覚を飲み干すように女は酔いしれて笑み、やがて心地よい眠りに落ちた。
ベッドに横たわる彼女の呼吸は静かで、夢はすぐに形を成す。
モモの眼には鮮やかな幻想が見えた。
愛される歓びに満ち、全身を包む多幸感の夢。
―それをひとかじり。
舌にとろけるような甘さが広がり、モモは目を細める。
「……やっぱり、悪夢よりもこっちだな」
そう呟き、女性のテーブルに残された小さなチーズケーキをひょいと手に取った。アオへの土産にするつもりだ。
部屋を出る前、モモはふと苦い記憶を思い出す。
かつて、権力を握る男にこの「甘い眠り」を与え続けたことがある。男はモモに依存して現実を顧みなくなり、職務も責任も放棄して、ただモモの見せる甘い夢をねだり続けた。
やがて男の屋敷に囚われ、軟禁同然に夢を供する日々を過ごした。しばらくして、まともな思考も不能となった男はすべてを失い、国がひとつ傾く事態に発展したのだ。ついには神なる存在の怒りに触れ、罪人として裁かれたのだ。それがモモが月へ送還された原因。
人を自堕落に陥れること、それは夢喰いにとって最大の禁忌なのだ。
その戒めは今も胸にある。だが、これは一夜限りの密猟だ。誰も傷つかず、誰も縛られない。
ひとときの夢を食べ、街の闇に溶けて消える。
夜風にコートの裾を揺らしながら、モモは微笑んだ。
「ごちそうさま」
――もちろん、この甘美な罪の味は、アオには秘密のままで。
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