[episode28]消えない旋律
- mam
- 9月16日
- 読了時間: 3分
胸の奥が重たく、呼吸は細く途切れ途切れにしか続かない。
病に蝕まれた体はもう、自分のものではないように思えた。
――もうすぐ終わるのだろうか。
まぶたを閉じたその瞬間、美緒の意識は静かに夢の世界へと沈み込んでいった。
***
「……来たみたいだね」
アオは薄暗い空間の中で顔を上げた。
月の導きに従い、モモと共にひとりの夢主の世界に足を踏み入れる。
そこは、古びた木の匂いが漂う小さなピアノ教室だった。窓から射す夕焼けが床を赤く染めている。
「へぇ……懐かしそうな場所だな」
モモが鼻をひくつかせる。
やがて教室の中央に、美緒の姿が立ち現れた。
彼女は驚いたように辺りを見回し、ふと気配に気づいたのか扉のほうへと目を向け――
「……美緒」
そこに立っていたのは玲子だった。制服姿のまま、十代の記憶そのままの姿で。
アオとモモは気づかれぬように、窓際の影から静かに見守った。
***
「玲子……? どうして、ここに」
美緒は震える声で問いかける。
現実の玲子がどうしているのか、彼女は知らない。
もうすでに、会えない存在かもしれないのだ。
玲子は微笑んで首を振った。
「ここは、あなたの記憶の中よ。だから私は、ここにいる」
その一言に、美緒の目が大きく揺れる。
――私の記憶の中の、玲子。
窓辺に立った彼女は夕陽を背にして振り返った。
「わたしはずっと、あの頃のまま。あなたの心に残っているから」
***
ピアノの椅子に座った玲子が鍵盤をなぞる。柔らかな旋律が部屋に広がる。
美緒の指も自然に鍵盤の上に重なり、二人の音が混ざり合った。
どこか熱を感じる、情のこもった音色。
「ふふ、…覚えてる?」
「……忘れるわけないじゃない」
奏でられる旋律に、アオは小さく目を細めた。
「これが、彼女のいちばん幸せな記憶……」
隣でモモは腕を組み、くくっと笑う。
「俺にだってわかるぜ。こんだけ想い合ってりゃ……そうだよな」
二人は音楽に溶け込むように寄り添い、美緒の唇から言葉がこぼれる。
「玲子……あなたのことが、ずっと、好きだった」
玲子は音を止めず、そっと微笑む。
「知ってたわ。わたしも同じ気持ち。……ちゃんと言葉にすればよかったわね……」
胸が熱くなり、呼吸の細ささえもう気にならなかった。
幸せの中で、二人の音楽は光へと変わり、教室ごと包み込んでいく。
***
その光の中で、美緒の姿はゆっくりと玲子と重なり、溶け合うように消えていった。
ずっと胸に仕舞われていた想いが昇華されたのだ。
「きちんと、旅立てたね。本当は…お互いが生きている間に会いたかっただろうけど」
アオの声に、モモは肩をすくめる。
「でも、いい顔してたじゃん。……幸せそうに幕を閉じた」
残されたのは、ただあの旋律の余韻だけ。
やがて光は完全に消え、静寂だけが残った。
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