[episode03]時計仕掛けの約束
- mam
- 7月8日
- 読了時間: 2分
更新日:7月21日
喫茶店の扉が、チリンと鳴った。古びたベルの音に、アオは耳を澄ませる。
夢の中の世界。カップから立ちのぼる湯気、アンティークの椅子、赤いベルベットのカーテン。ここは、亡くなる間際の女性・ミドリが眠る記憶の中の、かつて存在した喫茶店「クローバー」。
テーブルの向かい側には、25歳のミドリが座っていた。真紅のワンピースに、古いパールのイヤリング。だがその目はどこかぼんやりしていて、アオとモモに気づく様子もない。
「またここに戻ってきたみたいだな」
モモが喉を鳴らすように言う。店内の柱時計は、12時5分前で止まっていた。
「彼女の“いちばん幸せだった記憶”を、もう少しで見つけられそうな気がするんだ」
アオは静かに言って、ミドリの隣に腰を下ろす。
彼女は、誰かを待っている。
若き日の婚約者。戦後、失踪し、それきり戻らなかった人。
アオとモモが幾度も見てきた、繰り返す夢。
しかし今、柱時計の奥で何かがかすかに光った。
モモが近づいて振り子をそっと止めると、空間がゆっくりと揺れ、ミドリの目がアオを捉えた。
「あら……あなた……」
「ミドリさん。あなたの大切な人と、最後に交わした言葉を思い出せますか?」
ミドリは目を細めた。
やがて、遠くを見るように言った。
「……『次はちゃんと来るから』って、彼……そう言ったの。でも、その次は来なかったのよ」
アオは微笑む。
「その言葉の思い出が、あなたが最も幸せだった瞬間なんですね」
ミドリの目に涙が浮かぶ。
その頬に、安らぎの色が差す。
「ありがとう……ようやく、席を立てるわ」
柱時計が静かに、コーン……と鳴る。
針が12時を指し、ミドリの姿はゆっくりと光の粒になって溶けていった。
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