[episode02]月影(つきかげ)のオルゴール
- mam
- 7月4日
- 読了時間: 3分
更新日:7月22日
部屋の片隅、アオは古びたオルゴールを修理していた。
いわゆるアンティークを好み、どこかで手に入れてきては修繕するのが趣味のようだ。
時折聴こえてくる軋むような音を背に、モモは眠たげに欠伸をする。
「なあ、アオ。今日の“旅先”は?」モモが鼻を鳴らす。
「フユキ・リョウ。四十歳。画家。眠ったまま、もう戻れないらしい」
アオは小さくため息をついた。
「少し、心が重い」
夢の中。
リョウのアトリエは、壁じゅうに未完成の絵がかけられていた。青色ばかりを使ったたくさんの風景画。
中央には、背を向けた少年の絵──その背中だけが、何枚も、何枚も。
青色の風景画の中に溶け込むように置かれている。
「君は──誰だい?」
振り返ったリョウは、アオを見るなり驚いたように目を見開いた。
「……君、夢に出てくる“あの子”に似てるな」
「こんにちは、リョウさん。あなたの“いちばん幸せだった記憶”を、一緒に探しにきました」
「……なるほど。君は死神なんだね。そうかそうか、俺は、…死ぬのか」
静かに頷くアオに、リョウは小さく笑った。
「最後になるなら、もう思い出してもいいかもな。ずっと描けなかった“あの背中”の向こうを」
記憶が開く。
大学時代。リョウは誰よりも色彩を愛し、孤独を愛していた。
そんな彼の世界に、鮮やかに飛び込んできたのが──ハルという名の少年。後輩だ。
「リョウ先輩!また青ばっかじゃないですか」
「うるさい。黙ってろ」
明るくて、まっすぐで。自分には眩しすぎた。
けれどある日、ハルが不意に言った。
「俺、先輩の絵が好きです。いろんな青色が綺麗でさ。描いているところをずっと見てるのも好きで。…それからさ、先輩のことも……きっと、好きなんだと思う。その…特別な意味で。」
リョウは一瞬目を見開いた。自分の作品を好んでくれる後輩。自分のまた、彼の存在に救われていた。
けれど、応えることはできなかった。
彼の言葉を受け入れたら、どうなってしまうだろう。
作品に向き合う気持ちはどう変化してしまうんだろう。
「…こんなこと言われても困りますよね。」
ハルは背を向けてその場から離れてしまった。
それから2ヶ月後。
ハルは留学先で事故に遭い、亡くなってしまった。
「あの背中を、ずっと描いてた。……でも、一度も振り向いてくれなかった」
リョウの声が震える。
「いや、違う。俺が……追いかけられなかったからだ」
アオは静かに、リョウの手を握った。
「その人との思い出が、いちばん幸せだったんですね」
「……あぁ。俺はあの子と過ごしたあの日々が、なによりも……」
夢の終わり。
アトリエに置かれたオルゴールが、小さく鳴り出した。ハルが贈ってくれたものだと、リョウは言った。
「アオくん。ありがとう」
リョウの姿が、光に包まれてゆく。
「もう少し早く……あいつに言えたらよかったな」
「言葉より、想いが届くんです。リョウさんの“青”が、それを証明しています」
リョウは、笑って消えていった。絵の中の少年が、ようやくこちらを向いていた。
月へ戻る道、アオはふと立ち止まる。
「ねぇ、モモ。僕の“いちばん”って、なんだと思う?」
「……案外、まだ始まってないんじゃないか?」
アオの兎耳が揺れる。かすかな笑いを浮かべて
「そうかもしれないね。そのうち誰かの夢の中で、きっと──」
月の夜。
またひとつ、静かな愛が、優しく満ちていった。
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