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[episode04]繕いの部屋

  • 執筆者の写真: mam
    mam
  • 7月8日
  • 読了時間: 2分

更新日:7月15日

夢の中は、縫いかけの布であふれていた。

カーテンの隙間から差し込むやわらかな光。棚には糸巻きが並び、足元には色とりどりのボタン。


「ここが彼女の記憶の場所か」

注意深く部屋を見渡しながら、モモが言う。彼の足元を、小さな針がころころと転がっている。


奥の机、趣のある椅子に、女性がひとり座っていた。

30代半ば、少し痩せた肩。

夢の中でも、彼女──ハルカは黙々と針を動かしている。


「あと少し、あと……一針……」


時折疲労の色を覗かせる彼女に、アオがそっと近づき声をかけた。

「ハルカさん。無理して縫わなくても良いんだよ。僕は、あなたの“いちばん幸せだった記憶”を探してるんです」


ハルカは小さく首を振った。

「駄目よ、まだ……この服だけは……完成させなきゃ」


その服は、よく見ると、どこか古びたワンピースだった。

色はあせ、裾のレースがほつれている。


「モモ、これって……」

「ああ。きっと、妹さんが最初に縫ったやつだ」


アオとモモは、彼女が妹とふたり、満面の笑顔で過ごした記憶を見たことを思い出した。

たくさんの布を抱えて、お揃いのワンピースを仕立てる約束をしていた。


「妹」というワードに、ハルカの指が止まる。


アオは静かに問いかけた。

「覚えてますか? あの日。妹さんと並んで布を選んだ、春の午後を」


ハルカの目が、ふいに潤んだ。針の動きを止め、そっと呟く。


「そうね。あの時……笑ってた。うれしくて、何度も同じ布を撫でて……。

 私、あの子とふたりでずっと生きていたかったの…。

 何着も何着も…ワンピースを縫ったのよ。会えなくなってからもずっと…」


「……幸せだったんですね」


「そう。私、あの子以外誰も、要らなかったのよ。…追いかけたらよかった」


光がゆっくりと部屋を満たす。

ミシンの音が止まり、風が窓を揺らす。


「ありがとう……。ようやく、手を止められる」


ハルカの姿は、春風にほどける糸のように、そっと空へ溶けていった。


「どんなに大切に想っていても… そばにいられるとは、限らないんだね」

「そりゃあそうだろう。… ほら、帰るぞアオ」


月の空から夢を渡るふたり。

今日もまた、誰かの記憶に、そっと寄り添っている。


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