[episode05]ラジオの向こうの君
- mam
- 7月9日
- 読了時間: 3分
更新日:7月21日
その夢の中のラジオスタジオは、深夜三時の空気そのものだった。蛍光灯の明かりが天井からぼんやりと照らし、ブースの外には誰の姿もない。
ガラスの向こう、若い男がひとり座っている。パーソナリティの悠真(ゆうま)──20代半ば、少し長めの前髪が目にかかる細身の青年だ。かすれた声が、マイクを通してブース内に響いていた。
「こんばんは。深夜三時、誰かに届けるひとりごと。今夜も、ここにいます」
淡々とした語り口。でもその奥に、どこか寂しげな色が滲む。
「届いてるかな……誰かに」
彼はラジオが好きだった。顔の見えない誰かと、言葉だけでつながる世界。孤独な夜に、誰かが耳を傾けてくれているかもしれない──その“かもしれない”を信じて、彼は毎晩マイクの前に座った。
アオとモモは、ブースの外で彼の姿を見ていた。
「この人……誰かに声を届けようとしてるのに、ずっと独りだ」
アオの声は静かだった。
悠真の後ろ、時計は3:07で止まっている。時間が凍りついたまま、彼の想いだけが何度も繰り返されているようだった。
「投稿、全部読んでたんだ」
悠真がぽつりと呟く。「君の、メッセージ。何度も」
彼が想いを寄せていたのは、ある匿名のリスナーだった。
高校時代からずっと続けてくれていた投稿。読んでも読んでも、本名も性別も明かされなかったけれど、文体から、語り口から、彼は“男の子”だと確信していた。
言葉の向こうには、たしかに感情があった。寂しさ、優しさ、共鳴。ラジオの放送を通して、悠真はその投稿の主に少しずつ惹かれていた。名前も顔も知らないまま、手を伸ばすようにして。
アオは録音機の再生ボタンにそっと触れる。過去の放送回が流れ始める。
「ラジオだけが、夜の拠り所でした」
投稿に紛れていた一通の録音ボイス。それは、かすかに震える少年の声だった。モモの耳がぴくりと動く。
「この声……覚えてるぞ。昔、一度だけ夢の巡回で立ち寄ったことがある」
アオが振り返る。「え?でも、それなら僕も一緒にいたよね?」
「いたさ。でもその時、おまえは中まで入らなかったろ。俺だけがあの子の夢に触れた」
アオは「あ……」と小さく声を漏らした。
「夢の中の彼は、ずっと待ってるような顔をしてた。声は小さくて、でも……誰かに届くのを信じてる音だった。……来てたんだ。あの夜、スタジオの前まで」
夢が静かににじんで、風景が変わる。
夜の雨。びしょ濡れの制服姿の少年が、ラジオ局の前に立っていた。顔は見えない。でもその背中は、濡れて震えながらも、どこか決意を帯びていた。
「本当は、会えてたんだ」
アオの声に、悠真がふと顔を上げた。
夢の中で、彼は当時の自分の姿を見ている。あのとき、自分は彼に気づいた。でも足を止めなかった。マイクの前で話すことでしか、彼に届かないと思っていた。
本当は、─会いたかった。
「君が……君が、ずっと聴いてくれてたんだね……」
少年が振り返る。
濡れた前髪の奥で、やわらかい目が、まっすぐに悠真を見る。
「うん。いつも、君の声を待ってたよ」
その一言で、悠真の目が大きく揺れる。長い夜を超えて、ようやく届いた“声”。
静かに、スタジオの時計が動き出す。3:08──時が、ほんの少しだけ、進んだ。
カフスが下り、マイクのランプが消える。
悠真の表情に、穏やかな笑みが浮かぶ。
その笑みは、どこか懐かしく、満ち足りたものだった。
「ありがとう……もう、十分だ」
その言葉とともに、彼の姿はゆっくりと月光のようにほどけていった。
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