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[episode08]あの夏の背に触れて

  • 執筆者の写真: mam
    mam
  • 7月16日
  • 読了時間: 4分

更新日:9月8日

夕暮れが、坂道を金色に染めていた。 蝉の声が遠くからこだまし、電線の向こうには雲の切れ間から覗く青空がまだ残っている。


制服の襟に触れながら、夢主の少年──昴(すばる)は、ひとり佇んでいた。


ここは彼の記憶の中。

地上で彼は今、事故による昏睡状態にある。命の終わりが近づき、アオとモモが彼の「いちばん幸せだった記憶」を探すため、彼の夢へと降りてきた。


誰もいない通学路。 夕焼けの坂道を吹き抜ける風に、昴の髪が揺れる。


「この空気、少し泣きそうになるな」 モモが言う。珍しく今日はバクの姿ではなく、人間の姿でアオの隣に立っていた。


「……この景色、僕、なんか好きだな」 アオの目は昴の奥、坂道の先を見つめている。


その坂の途中に、もう一人の少年がいた。 黒髪に柔らかい目元。シャツの袖をまくった痩せた腕。──彼の名は、透(とおる)。


透は昴の幼馴染だった。 小学校から高校まで、どこに行くにも一緒で、言葉を交わさなくても空気で通じた。


 ──そして、もうこの世にはいない。


透は高校二年の冬に病気で亡くなった。 誰にも打ち明けていなかった持病が、ある日突然進行して、そのまま命が尽きたのだ。


昴が透と最後に顔を合わせたのは、この日。 この坂道で、昴がほんの一瞬だけ、透の手に触れた──けれど何も言えなかった、夏の夕方。


「なあ、昴」 その日の記憶が静かに流れ出す。


「俺さぁ…多分もうちょっとしか生きられないんだ」


「……は?」


「なーんてな。なんでもない。今の忘れて」


笑ってごまかす透に、昴はなにも返せなかった。 怖かった。なにかが壊れる気がして。


なのに、透は少し笑って言った。


「でもさぁ、あれだよ。たとえば明日俺が死んだら、何か後悔することある?」


「……なんだよそれ」


「だから…そうだ、俺に内緒にしてることがあったりとかさ」


そのとき笑いながらどこかを見上げた透の横顔が、どうしようもなく遠く見えた。


昴は黙って歩き出し、言葉の代わりに、透の手にそっと自分の指をふれさせた。 それだけで、胸がいっぱいになった。


「……あるよ。言ってないこと」 昴が夢の中で呟いた。


「だけど、あの時の俺には、どうしても言えなかった」


アオは昴の隣に立ち、その視線を追う。


「君にとって……あの瞬間が、いちばん幸せだった?」


「うん……でも、いちばん、悲しい記憶でもある」


「それでも、君はこの夢を選んだんだね」


モモが言う。

「なあ。好きだったんだろ、そいつのこと。友達としてじゃなく」


「…うん。あの時はね、気づいてなかったけど、あれは、恋だったんだと思う」


透の姿が、坂の上で振り返る。 その笑顔は、もうどこにも存在しないはずのもの。


なのに、夢の中では──まるでその記憶の続きのように、昴に向けられる。


「俺もさ……もし、もう一回、昴に会えるなら、伝えたいと思ってた」


「え?」


「昴、おまえのこと、好きだったよ。ずっと、気づかないふりしてたけど。」


 坂の上から聞こえてくるその声に、昴は息をのんだ。


「……透……」


「俺はもうどこにもいないけどさ。そういう気持ち、ひとつくらい置いていってもいいよな?昴。」


その言葉と共に、透の姿が金色の光に包まれる。 蝉の声が遠ざかり、坂道の向こうに、柔らかな風が吹いた。


「昴のことが世界で一番大好きだ。お前が誰のものになっても、俺の気持ちは変わらないから」


昴の目に、涙があふれる。


「ありがとう。……透に出会わなきゃよかった、って何度も思った。お前が消えてしまったあの夏からずっとずっとずっと…辛くて悲しくて、誰も好きなんてなれなかったんだ。でも、出会ってなかったら、こんな風に誰かを想うこと、一生なかったと思う」


「うん。……だから、ありがとう」


光の中で、透が微笑む。


「…また会えるよ」


その一言を最後に、夏の坂道が、静かにほどけていった。

遠い遠いどこかで、ふたりの命がまた重なる未来が、あるかもしれない。


月の帰り道。 静かな夜の下、アオとモモは並んで歩いていた。


「…切ないね」 アオがぽつりと言った。


「でも、ちゃんと届いた気がするよ俺は。言えなかった“好き”も、伝わった」


「生きてる時に言えなかった言葉ってさ」 モモが空を見上げた。


「あとからでも、届くことあるのかねぇ」


「きっとね。…モモは、僕に何か言えてないことある?隠し事とか」


「……さてな」 モモは肩をすくめて、からかうように笑う。


「でも、もし何か言うとしたら──夢の中じゃなくて直接だろ」


「うん」 アオも笑ってうなずいた。


「僕も、できれば現実の声で聞きたいね」


ふたりの足音が、月の光にまぎれて消えていった。

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